このたび、岡野有里子選手が今シーズンをもちまして、現役を引退することとなりましたので、お知らせいたします。
岡野 有里子(Okano Yuriko)選手
【生年月日】
1993年4月26日
【出身地】
大阪府
【ポジション】
MF
【経歴】
日ノ本学園高等学校→神戸親和女子大学→オルカ鴨川FC→アンジュヴィオレ広島→ディアヴォロッソ広島
【コメント】
まず初めに、日頃から多大なるご支援をしていただいている新富町役場をはじめ、数々のスポンサーの皆様、サッカーに打ち込める環境を与えてくださったスタッフ、最高で最強のヴィアマサポーターの皆様、子どもや孫のようにいつもサポートしてくださった愛情いっぱいの新富町の方々に、この場を借りて感謝を申し上げます。
そして6歳から始めたサッカーを25年間させてくれた両親に本当に感謝しています。
私は、今シーズン限りで引退する決断を致しました。
長くなってしまいますが、25年間の感謝の気持ちを伝えさせて下さい。
私は決して上手い選手でもなく、サッカーセンスがあって賢い選手でもありません。たくさん遠回りもして、数え切れないくらい挫折もしました。
そんな私がここまでサッカーを続けてこれたのは、サッカーが大好きな気持ちと、チャレンジ精神、人とのご縁があったからです。
小学校のクラブチームから大学を含め各所属チームで、仲間と常に上を目指しながら切磋琢磨して日々サッカーに向き合い成長できたことで、とても充実したサッカー人生を送ることができました。
そして様々な経験とともにご指導いただき、本当にありがとうございました。
私は初めてヴィアマのホームゲームを観た時、サポーターさんたちの綺麗でリズミカルな楽器の音色と新富町の方々が一体となって応援している姿を見て感銘を受けたのを今でも覚えています。
どん底だった私にもう一度頑張りたいと思わせてくださったクラブがヴィアマテラスでした。その時に私は、”ここでサッカーをやりきる”と決意しました。
昨年は、個人としても結果にこだわりながら、なでしこリーグ2部優勝という形で恩返しできたことでそれまでの思いが報われた一年間でした。
今シーズンは覚悟をもって挑みましたが、前十字、半月板を損傷する怪我から始まり、まだできる感覚があったので手術をしない選択をしました。必ずパフォーマンスを元に戻してあのいちごスタジアムの”ピッチに立って恩返ししたい”と全力でリハビリに励みました。復帰して徐々に以前のパフォーマンスに持っていけた感覚はありましたが、私の実力不足でいちごスタジアムのピッチに立つことはできませんでした。悔しくて苦しい思いでしたが、何よりも2回も優勝という景色を見させていただけたことに感謝しています。
今シーズンはサッカー選手として何もチームに貢献できなかったシーズンでしたが、今までのサッカー人生を振り返った時に自分の力を出し尽くして、やりきったと言う思いの方が次第に強くなっていました。
私が唯一誇れることは、どこのチームにいても周りの人たちに恵まれていたことです。サッカーで出会えた偉大な先輩方や仲間、ファン・サポーターの方々が私のかけがえのない財産であり、宝物です。
これからもサッカーが楽しくて大好きだという気持ちは変わることはない。そんな気持ちを持って引退できる私は幸せ者です。
そしてヴィアマテラスでサッカー人生を終えれたことをとても誇りに思っています。
この先は、いろいろやりたいことが見つかりつつあるので、しばらくは今やってる広報のお仕事でスキルアップしながら貢献していきたいという思いでいます。
どこかでお会いしたら気兼ねなくお声かけてくださると嬉しいです。
本当に本当にありがとうございました!
2年前、暗い顔をして訪れた練習参加。
あの時、あの顔で引退しなくて良かった。
サッカーに目一杯向かい、ピッチを沢山駆け回り、沢山ボールを蹴って、沢山笑って、今こうして引退を決めた時、晴れ晴れした顔でいる岡ちゃんを見れたこと、ただただ嬉しく思います。
そして、岡ちゃんの最後のサッカー人生のページに、ヴィアマテラス宮崎がのることを心から誇りに思います。ありがとう。
自分の新たな道へと向かい始める岡ちゃんの今後の人生が、更に綺麗な花を咲かせるものとなる事を心から祈っています。
お疲れ様やったね岡ちゃん。
ヴィアマテラス宮崎
秋本範子、柳田和洋